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鎌吹歴史

我が団の「ビッグ・マム」的存在、石井さんより、鎌吹草創期の苦労話をご寄稿いただきました。
(季刊誌「fromかますい」より転載)

  1. 鎌吹が出来るきっかけ
  2. 井上さんとの出会い
  3. 第一回定期演奏会・前編
  4. 第一回定期演奏会・後編

第一話 鎌吹が出来るきっかけ

 私事で恐縮ですが、鎌ケ谷小学校のブラスバンド部に入って初めてフルートを手にしたときから中学、高校と吹奏楽部で充実した学生生活を過ごしていました。ところが高校を卒業すると吹奏楽をやる機会が全くなくなってしまい、大学や船橋、市川、松戸と一般バンドを探しました。結局松戸吹奏楽団で一年間プレイしました。

 地元にいますとどうしても鎌中時代のブラバン仲間と連絡をとり合います。そんな時出る話は、「どうして鎌ケ谷に一般市民のバンドがないのだろう」ということでした。先輩の家に集まっては、音楽についての話で盛り上がります。吹奏楽熱は夜中までさめることがありませんでした。「鎌ケ谷に吹奏楽団があったらなー」「名前はやっぱり鎌吹だろう」「大きなバンドみたいに1軍2軍の実力主義ってのはどうかな」「まず入団時に試験をやるような鎌吹にはしたくないな。誰でも気軽に入れて、みんな楽しみながらいい音楽を作りたいな」こんな空想話ばかりで、よし作ろう!という人は誰もいませんでした。練習場所・楽器・諸経費の問題、人集め等前途多難な事はわかりきっていたからです。私も当時は20歳でアルバイトの身、車の運転も始めたばかりの不安定な状態でした。

 鎌吹を作る空想話は1年にも及び、先輩や後輩へと広がっていきました。「鎌吹を作りたいな」から「鎌吹を作るんだって?」に話もすりかえられ先輩に「お前が作れ」と背中を押され、できるところまでやってみようと鎌吹を作る決心をしました。今思えばたいしたことではなかったのかもしれません。

目から鱗が落ち、感慨深きこの時、更なるエピソードが我々を感動の渦へといざなう。そしてその時、鎌吹に大いなる何者かの影が....。次回予告「井上さんとの出会い」お楽しみに!


第二話 井上さんとの出会い

 鎌吹が出来たら入るよと言ってくれた仲間は40人にもなっていました。さっそく鎌小時代のブラバンの顧問、原田先生の所へ相談に行きました。何とか力になってもらいたいとお願いしたところ快く引き受けてくれました。しかし、15歳から21歳の若い団です。原田先生も、もっと市にかけあえるぐらいのきちっとした立場の方に団長になってもらったほうがいいと井上和夫先生を紹介して頂きました。

 井上先生は当時鎌ケ谷四中の校長先生で、若い頃はご自身もトロンボーンを吹いていたそうです。ブラスバンド部に対しても大変にご熱心だと伺い、さっそく(仮)鎌吹団員名簿を作り、資料を頭の中にインプットし、何より私達が思いつきではなく長い時間話し合い、真剣に考えていることをアピールしました。

 井上先生は、鎌ケ谷に一般バンドがないのが不思議なくらいだと共感をよせてくださり、鎌ケ谷市民の文化や地域貢献の話にまで及び、広い展望で助言をいただきました。まずは団員を正式につのり意識を固めることと規約を作ることを提案され、規約はPTAの規約と近くの市民バンドの規約をもとに作りました。

 団員については、一人一人の仕事の都合や練習日の希望を聞き、週1回の木曜日の夜18:30〜21:30を練習日としました。練習会場には三橋記念館地下ホールを与えてくださりました。団長に井上先生、副団長に原田先生をお願いしました。まずは鎌吹を発足させようと昭和56年2月14日、参加者は25名位だったでしょうか、地下ホールのステージ上で練習を行いました。

 あの小さな空想話から2年後のことです。

ますます話が大転回! 明日の鎌吹はどっちだ! 我々を不思議の世界へといざなう今後の進展が手に汗握らせ、そして未曾有の危機へとつづくのか? 焦る気持ちを押さえ次回は....。次回予告「第1回定期演奏会」お楽しみに!


第三話 第一回定期演奏会(前編)

 発足当初は市民からの寄付金で大きな打楽器を購入、譜面台は井上団長(当時)のポケットマネーから購入させていただきました。打楽器の保管場所の交渉や様々な事務手続きなどを経て本格的に練習が始まったのは発足から4ヶ月後の昭和56年6月でした。

 水を得た魚のごとき約20人が揃いましたが、ほとんどが学生・高校生なので、試験前になると一斉に練習を休みます。試験が終わればバイトが忙しかったり、社会人も残業があったり出張があったりで、毎週木曜夜の練習に5〜6人しかいないという日も多々ありました。

 このままでは吹奏楽の楽しみが半減してしまう、と団員が互いに連絡をとりあって、週1回の練習には参加しようと呼びかけました。それと、全員が常にアンテナを張り巡らして「一緒に吹奏楽をやろう」と後輩の高校生や中学時代の先輩を誘いました。そして… 何か目標があれば練習にも熱が入る!ということで、「昭和58年3月12日に第一回定期演奏会開催!!」が決定したのです。

 準備期間は約3ヶ月。木曜日に加えて日曜日も練習に入れました。曲目や演出の企画、司会原稿など何もかも手さぐりで、話し合いはいつも夜中の12時過ぎまで。おなかが空くとイライラして話し合いにならないので、夜食は必需品でした。

 まず曲目が決まると、次はステージ上の演出です。照明だけでは物足りなく、一部と二部の雰囲気をガラッと変えようといろいろ考えました。ステージ上の看板は発泡スチロールで型抜きにしたアルファベットにアルミホイルを巻いてピアノ線で吊るしたり、スモークを焚くのにドライアイスで実験してみたり、「E・T」の曲に合わせて映画のラストシーンをステージ上で再現してみたり、と凝っていきました。

 演奏が下手な分、視覚に訴えるという作戦です . . .

スモーク? E・Tを再現? おお、ものすごい情熱だ。しかし定演まで3ヶ月しかないではないか。準備は間に合うのか? ――― そして、興奮と感動の後編へ! ―――


第四話 第一回定期演奏会(後編)

 そんな中、「広報かまがや」の「この人」というコーナーに私自身を取り上げて頂き、思わぬところで鎌吹の宣伝ができました。また、井上団長の口添えで読売新聞に「結成2年『鎌ケ谷吹奏楽団』念願の初公演あと2週間」という見出しの大きな写真入記事を載せて頂きました。市内で初めての市民ブラスバンドという事で取材をしてくれたようです。三橋記念館地下ホールは260人収容。果たしてどのくらいのお客さんが来てくださるのか心配でした。口コミ、チケット、ポスター…あらゆる手は尽くしたのですが、「当日お客さんが真ん中に5〜6人」という夢を何度も見ました。 3月に入ると練習の他に準備が間に合わなくて、最後の1週間はほとんど寝てない状態でした。

 迎えた当日、開場前からお客さんはどんどん集まり、開演時間には満席で通路もロビーも一階へ通じる階段も人で埋まり、身動きがとれない状態でした。しかたなく扉を開けたままでの開演となりました。ステージ上からお客さんの顔を見ることはできませんでしたが、 程よい緊張感が演奏を通じて客席にしみわたり、会場と一体となって、演奏している私たち一人一人が感動で身震いするくらい。その感動がお客さんにそのまま伝わったような感じでした。

 感動の打ち上げも無事終わり、日が替わった深夜家に着くと、その日は私の結納の日でした。

《第1回定期演奏会》 1983年3月12日(土) 三橋記念館
 
第一部
  • インペラトリクス
  • 音楽祭のプレリュード
  • シンフォニアノビリッシマ
  • 聖歌と祭り
 
第二部
  • ロッキーのテーマ
  • ウェストサイド物語メドレー
  • E.T.のテーマ
  • 踊りあかそう
  • アフリカンシンフォニー
 
<指揮: 原田吉隆、大淵研筰>

この感動の演奏会を何人かの現団員は客席で聴いていました。まさに石井さんの書かれているとおり、情熱の渦巻くただならぬ雰囲気だったそうで、今でもOBの集まる席などでは語り種になっています。

ここに泉あり! 熱血風雲録「鎌吹の歴史」の連載はひとまず今回でおわりです。 石井さん、ご寄稿どうもありがとうございました。先達の情熱に想いを馳せつつ鎌吹の歴史はこれからも続きます . . .

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